寺川ムラまち研究所

[ 11 ]  前へ次へ

2023.7.26
安全保障まちづくり私論
寺川ムラまち研究所
寺 川 重 俊

最近、平和であることの意味が様々に問われているような気がします。世界のどこかで武器を用いた戦争が続いています。世界のどこかで異常気象による災害が続いています。世界のどこかで感染症によるパンデミックが続いています。そして世界のあらゆるところで家を追われ、地域を追われ、国を追われて難民の発生が続いています。
最近、岩手県内のとある小さな集落(7世帯)でまちづくりの議論をして、その集落の良い所を聞いていたときに、最後のころにお年寄りの男性の一人がしみじみと「やっぱり平和なところかなぁ〜」とつぶやきました。小さな集落の平和を守り、維持するにはどうしたらよいか考えてみました。

1.食料・水安全保障の確立
平和の維持にとって欠かせないことの第一は生命の維持であり、それにとって必要な筆頭は食料と水の安定的な確保であろう。
小さな集落にとって食料は農畜産漁業によって得られる農畜産物や海と山からの恵み(山菜やキノコ、獣肉いわゆるジビエなど)、そしてそれらの農畜産物や海山の恵みの長期保存の知恵によって得られる加工品です。(加工品の中で安全保障上欠かせないものの1つであるお酒、どぶろくも含まれます。)これらの生産や加工を継続的に可能とするための人材をはじめ技術や知恵が集落内で継承されることが小さい集落にとっての食料安全保障です。
水も同様です。水資源の豊かな日本の農山村では沢水や井戸水などの安定的な水の確保が可能な地域が多いことが利点です。しかし、飲用にしても農畜産用水にしても、その確保と継続的な利用には技術や知恵、ルールなど、地域としての経験と蓄積に基づく共有とその継承が重要であり、それが水安全保障と言えるものです。
少なくとも、多くの中山間地域の集落では昔から利用している沢水を大切にし、公共が提供する水道や簡易水道と併用して利用できるように、その維持管理を継続していくことが大切です。

2.エネルギー安全保障の確立
生命の維持にとってもう一つ欠かせないことがエネルギーの安定的な確保であり、とりわけ東日本大震災とそれにともなう原発事故により地域でエネルギー安全保障を考える契機となりました。
小さな集落にとってのエネルギーは「電気」「ガス」「ガソリン・灯油」ということになり、現在では基本的に外部経済に頼らざるを得ない状況であることは言うまでもありません。しかし、こういった状況の中での安全保障の視点はこれら外部経済に頼るエネルギーの安定供給といったことではなく、長期的に自力で確保する代替エネルギーの問題として捉えることが必要です。
最も大きな問題は「電気」ですが、近年は従来の大規模集中型の電源システムの脆弱性が明らかになり、それに変わる自立分散型のエネルギーシステムの構築が課題となっています。発電手段を自前で確保するために、それぞれの地域の特性に応じて「太陽光」「風力」「バイオマス」「地熱」やさらに「小水力」「海洋エネルギー」などの多様な選択肢が技術的にも開発されつつあります。出来る限り小規模でそれぞれの集落で維持管理を含めて自前で確保できるような手段の選択と適切な組合せを検討できる環境を整えることが必要です。
もちろん、暖房や給湯、調理用に必要なエネルギーについても、電気に頼らずにバイオマスをはじめ、伝統的な薪や炭の自前調達のノウハウを蓄積することも重要です。
将来的には車や農業機械、漁船などのエネルギー確保についても小さな集落独自には無理にしても、もう少し広い県単位程度での次世代バイオ燃料や水素エネルギーなどの自立的な生産供給システムの構築が望まれます。

3.情報安全保障の確立
今の時代、小さな集落にとっても情報の受発信の手段やスキルの確保は安全保障上重要な要素です。この後に述べる「経済安全保障」や「外交安全保障」にとって欠かせない要素であるとともに、災害等の緊急時においても重要な役割を果たすこととなります。とりわけ電話回線に頼る現在の情報環境にあって、緊急時のことを想定すると衛星通信などのより安定的な情報回線の確保が必要であり、そのための機器や活用のためのスキルの確保が必要です。
一方、平時において前述の「経済安全保障」や「外交安全保障」にとって重要な情報発信については、いかに伝えたい情報を適切にかつ魅力的に伝えられるかのノウハウや多様な情報発信ツールの選択のスキルを集落として蓄積しておくことが必要です。

4.命を守る
前項までの「食料」「水」「エネルギー」「情報」の安全保障で述べた内容は、まさに命を守るという意味での自給自足のムラを目指す内容です。しかし、現時点ではそれら全てを完璧に備えることはなかなか高いハードルといえます。その上で、今大切な事は大災害時に生き残るための準備だと思います。
中山間地域の小さな集落の人達と話していると、我々は都会の人達と違って災害が起きても1週間ぐらいは食料も水も何とか確保して、ちょっと昔の暮らしに戻って薪や炭で生活できる自信があると言います。自信があるだけではなくてちゃんと蓄えや供えもあります。このことは非常に重要だと思います。そして、最近の想定外の大災害を考える時、この生き延びられる能力を最大限確保し、せめて1ヶ月間小さな集落が自立して命を守れるようにすることを安全保障の確立の第一ステップとすることが求められると思います。
日本国内の全ての中山間地域の集落がそれぞれに自立してこの安全保障のステップを進めていくことで、日本の食料自給率やエネルギー自給率が高まっていくことになります。さらに国策として政府が旗を振る各種の自給率の向上策は都市部の人口に対して地方部がそれをどう支えていくかという施策として、次項に示す経済安全保障の確立と密接に関わることとなります。

5.経済安全保障の確保
小さな集落の経済は、集落構成員一人一人の稼ぎに依っています。農林漁業により稼ぎを得る人、集落内でそれ以外の自営業(商店や建設業など)により稼ぎを得る人、外に働きに出て給料という稼ぎを得る人など様々です。さらに世帯で考えれば家族構成によって様々な稼ぎの組合せで世帯の稼ぎを得ています。
小さな集落における経済安全保障とは、これらの個々人、各世帯での稼ぎに加えて集落としての稼ぎをいかにして紡ぎ出すかという視点です。つまり、集落を1つの会社に見立て、集落が持つ資産をいかに価値あるものにして、それを売ることで集落としての稼ぎを得るか。そして、会社の構成員である集落の人達がそれぞれの持つ経験やスキルを活かして、この営業活動にいかに関わるかという課題です。ここで得る稼ぎのうち、関わる人達の賃金と経費を引いた利益を集落のために使っていくという非営利の会社です。
小さな集落にはそれぞれに様々な独自の「ムラの恵み」を持っています。そしてその恵みを活かす技術や知恵を集落の人達は持っています。それは集落の歴史であり伝統ですが、当たり前の日常でもあります。集落の当の本人達は当たり前のこととして、その価値を感じていません。そこで、経済安全保障の第一歩は集落が持っている価値の再確認、再認識から始まります。そして、それには外の人の視点や評価が必要ですが、その前にとにかく「ムラの恵み」や「ムラの技」「ムラの人材」の棚卸しが必要です。一度、考えられる全ての要素を価値の有無に関わらず並べてみることが重要です。そして、それらの全要素の中から外の人の評価に耐える価値のあるものを洗い出す作業が必要です。
前述の会社として価値あるものを売っていくためには、洗い出された集落が持つ価値あるものをさらに磨き上げたり付加価値を付けたりする必要があります。生産物そのものの質を上げるとともに、独自の加工品にしたり、そのネーミングやパッケージングを工夫したり、さらに組合せで独自性を出したりと様々な方法を学びながら、さらに外部の専門家の力を借りて、売れるモノを創造していくのです。そして最後は情報安全保障の力で集落のために外貨を稼ぐのです。

6.外交安全保障の確立
小さな集落の平和は集落の存続でもあります。少子高齢化はどこもが抱える問題ですが、その切り札が外交安全保障です。外部の人を集落でもてなし、交流し、ファンを増やし、絆を作り、そして移住者を迎えるというシナリオです。そこでものを言うのが外交力です。
もてなしに必要なものは集落の人達の人間力ですが、その大きな要素は自分の集落に対する自信と愛情です。そしてその自信と愛情を醸成するのは前項で述べた外の人の評価に耐える価値あるものの認識とそれを磨き上げた自負です。それらがもてなしの最高のコンテンツになります。
もちろん、経済安全保障上必要な価値ある要素を磨き上げ、付加価値を付けるために外部の人や専門家の力が必要であり、そういう人達との交流も重要な外交力です。特に専門家の方々は情報発信力を持つ方が多く、小さな集落のファンになれば集落の情報を発信してもらえる可能性が高く、それだけ集落に興味を持つ外部の人が増えることになります。
外交安全保障上最も重要なことは、冒頭のシナリオの最後の絆から移住というステップです。集落に対する自信と愛情を共有する絆があって初めてこの集落の構成員として平和を守り、存続していく意識が芽生えて移住、定住へと結びついていきます。(余談ですが、これは国の移民政策としても重要なシナリオではないかと思います。)

7.世界の平和
小さな集落の平和を「安全保障」という切り口で考えてみました。そして、この小さな集落の平和を広げていくことが地域の平和、地方の平和、日本の平和につながるのではないかと思っています。都市部では都市部なりに小さな単位での平和を、つまり安全保障を考えていくことが必要だと思います。
ここまで述べた安全保障の内容に「防衛」という文字は出てきません。小さな集落、小さな単位を基本に考えていくと「防衛」ということは必要ありません。そうやって築き上げる国の平和を想像すると、ひょっとしたら世界の平和と結びつくのではという妄想を抱いてしまいます。




【参考】
岩手県内のとある小さな集落での話しは、その後まちづくりの構想へと進み、下図を基に安全保障まちづくりについて熱く語りました。しかし、その反応は口をポカンとあけて何のこっちゃ状態でした。まぁさし当たり出来る事からやろうかということで、集落の人達が好きな「飲んで・騒いで・交流」として外から人を呼んで交流しよう。ということになりました。いつか安全保障まちづくりのことを分かってくれるだろうか。


記事についてのお問い合せはお問い合せページよりお願い致します。
※記事の無断利用はご遠慮ください。 (c)寺川ムラまち研究所