寺川ムラまち研究所

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 平成18年12月に施行された新しい教育基本法では、教育改革を推進する主体として国及び地方公共団体の役割分担や必要な取り組みについて規定しています。とりわけ、教育における地方分権の推進の考え方から、地方公共団体はその地域の実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならないとし、教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努力しなければならないとされています。
 一方、多くの地方の地域の実情は、過疎、高齢化、少子化の流れが止まらない状況を背景として、いじめ、登校拒否、引きこもりや、発達障害の多様化、細分化とその対応の困難性など、子どもとその教育を取り巻く環境は問題が山積しています。これらの問題はひっくるめて学校や教師のせいにしたり、親のしつけの問題に収斂させたりすべき問題ではなく、1つ1つ丁寧にもつれた糸をほぐすように、子どもに関わる(あるいは関わる必要のある)全ての主体が総動員で取り組むべき問題であると考えます。
 このような様々な問題に関連して、小中学校の統廃合が議論され、賛否両論の中でも結局はどんどん統廃合が進んでいるというのが実情だと思います。子どもの教育にとって何が良いのかという議論は踏まえつつも、結局は学校運営上の費用や人材の問題が大きく影響して統廃合のベクトルは今後も続くと考えられます。
私は、このような状況の中で、地域(とそこで暮らす地域の人々)と学校との結びつきの強さが、もつれた糸をほぐす大きな力になるのではないかと考えています。その意味で地域と学校との結びつきを統廃合は確実に弱くするという観点で問題があると考えています。以下この問題に対しての私なりの学校統合まちづくり私論を展開してみようと思います。

1.統廃合ではなく統合
 地域の小中学校が廃校になるということは、昼間に子どもが地域から居なくなることを意味します。廃校を余儀なくされる過疎地域にとって、人数は少なくとも昼間に子どもの声がしないということは非常に寂しいものです。地域の人たちは自分が卒業した学校に愛着を持ち、地域の運動会や文化祭、スポーツ大会などの行事をはじめ、就学している子どもの親たちだけでなく地域の人たちが何かにつけて集まる場所であったと思います。それが廃校とともに火が消えたように足が遠のき、やがては不要な場所になり、建物は壊されて記憶の痕跡も何もなくなってしまします。
 一方で、少人数・複式学級状態の学校では、今の子どもの教育環境としては好ましくないという議論、大人数のチームプレーが必要な部活が出来ないという議論、さらには子どもの教育からしつけまで何でも学校に期待する昨今の風潮から、学校機能の高度化や教師の専門性を求める声が保護者を中心に高いようで、それが統合への流れになっているようです。
 そこで、私は統合(複数の学校が統合)することは致し方ないとしても、それで1つの学校だけ残してあとは廃校にするということに反対したいと思います。つまり、複数の学校が統合して、そのすべての児童・生徒が、これまであった複数の学校校舎をみんなで使うという発想です。こう提案すると学校関係者、教育委員会関係者などはとんでもないとお怒りになります。維持管理費の問題はどうする、児童・生徒の移動が大変、先生がとても対応できない。そもそも、統廃合して1校になるから設備も施設も人材も充実できるのに、何でそんなめんどくさいことをするんだ、と非難ごうごうです。

2.今の子ども達に必要なのは「実体験」
 話は変わりますが、今の子ども達に必要なことは実社会における体験であると考えています。閉鎖空間である学校の外、そして家庭の外、つまり地域社会での様々な体験をどれだけ多様に、どれだけきっちりと積み重ねることが出来るかが非常に重要だと思ってます。決してぬるま湯的な擬似体験ではなく、多少の危険や挫折を伴う、そして一方で達成感も味わえる実体験です。そして、この本気の体験には地域社会の人たちの本気度が求められます。少し力が入り過ぎましたが、地域社会のルールの中で揉まれる体験が今の子ども達にあまりにも少ないというのが実感です。
 ゆとり教育は無くなっても、体験学習は何らかの形で残っているはずです。またここでいう実体験は、通常のカリキュラムの中に地域の人たちとの協議の中で組み込めるものは最大限組み込んでいくような柔軟で多様なものを構想しています。もうお分かりですね。複数の学校校舎にはその学校を大切に思う地域の人たちがいます。そして、その地域の人たちが子ども達の実体験を可能にする講師たちなのです。何ができるかは、それぞれの地域の特徴やそこの地域の人たちの得意によって変わります。そういった柔軟な発想を先生方も教育委員会も持ってもらいたいと思っています。
 何も通常の授業だけに限りません。放課後の様々な活動や補習などでも地域の人たちの活躍の場はあるでしょう。そしてそれらの地域の人たちとの体験授業(活動)の拠点がそれぞれの地域の学校校舎なのです。
 地域の人たちが子ども達のために、そして学校を学校として存続させるために、地域の特徴や人材を見直し、それぞれの地域で可能な体験授業(活動)を立ち上げる。まさしくまちづくりと同じです。そして学校が学校として存続するとともに、まちづくりの拠点という新たな機能も加わります。

3.ネガティブな問題も地域の人たちと
 維持管理の費用と手間の問題と、児童・生徒の移動の問題が残っています。これ、まちづくりの問題として取り組めませんか?
 維持管理の問題については、学校として存続する条件として、体験学習と体験交流観光、つまり、まちづくりの拠点として地域が中心になって引き受けることに出来ないでしょうか。もちろん、そのための実質的な費用は行政のまちづくり部門から支出していく。また、地元はその維持管理の主体としての組織・体制を整える。(これは子ども達のための授業の講師陣が主体となって作っていけるはず)ここでもたぶん、行政の縦割りの壁が立ちはだかることになると思いますが、何とか突き崩していきましょう。つまり、学校校舎を子ども達の学校として使うとともに、まちづくりの拠点としても活用するということは、教育委員会とまちづくり部門が連携していくことが必要です。うまく活用していくためには部分的に改修が必要となることもあるでしょう。連携、難しそうですが乗り越えましょう。
 要は、地域の人たちの、最初は子ども達のための本気、そして次のステップはまちづくりに対しての本気があれば大丈夫。学校を学校として残しましょうよ。
もう1つ、移動の問題、これも過疎地域の交通問題と捉えて解決の方法を地域の人たちと一緒に考えましょう。

4.地域のおじいさん、おばあさんへ
 かつて大家族でおじいさん、おばあさんの権威がしっかりと確立していた頃のことを思い出して下さい。今、おじいさん、おばあさんたちが孫世代、ひ孫世代の子ども達のための、一肌脱いで下さい。
 自分の家族のように、地域の子ども達のために出来ることを考えて下さい。自分の知恵や経験で出来ることを子ども達に体験させることがとても大切なことなのです。その中から地域への愛着を少しでも子ども達に感じてもらえたらこれ以上の講師はいません。


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